南総里見八犬伝 第九揖巻之十五(三)
「いぬる日|蟹目《かなめ》が自殺の事、那《かの》身に愆《あやまち》なかりしよしを、管領悟らせ給いなば、そは切《せ》めてもの事ながら、なお訝《いぶか》しきは犬阪毛野に、助剣《すけだち》しつと聞こえたる、犬田小文吾犬川荘介|們《ら》が事也かし。件《くだん》の両個《ふたり》の※[#「兀のにょうの形+監」、U+5C36]※[#「兀のにょうの形+介」]児《くせもの》は、去歳《こぞ》の六月《みなつき》誅戮《ちゅうりく》して、石浜大塚両所の使者、馬加《まくわり》郷武《さとたけ》丁田《よぼろた》豊実《とよざね》們《ら》に、渡し遣《つか》わしたりけるに、件《くだん》の郷武《さとたけ》豊実《とよざね》は、帰東《きとう》の途《みち》にて命を喪《うしな》い、小文吾荘介が首級《くび》は腐乱して、真偽|詳《つまびらか》ならねども、額蔵の荘介が、所持したる両刀は、落葉《おちば》小篠《おざさ》にあらざれば、首級《くび》も小文吾荘介と、姓名同じき別人ならん、と千葉大石両家より、意見を演《の》べて、那《かの》両刀を、返されしよしを、今さら思えば、去年|這里《こゝ》にて誅《ちゅう》しゝは、必ず同名異人にて、這回《こたび》毛野に助剣《すけだち》の、聞こえある両人こそ、実《まこと》の小文吾荘介ならめ。然《さ》るにても犬阪毛野|胤智《たねとも》は、就中《なかんずく》無双《ぶそう》の猛者《もさ》也。去歳《こぞ》の六月《みなつき》信濃路にて、郷武《さとたけ》豊実《とよざね》を撃ち果たしゝも、他《かれ》が所為《わざ》ならんという者あり。今茲《ことし》は武蔵の湯島にて、蟹目前《かなめのまえ》の内意に依《よ》りたる、河鯉《かわごい》権佐《ごんのすけ》守如《もりゆき》に相譚《かたら》われて、他《かれ》が父の仇《あた》と聞こえし、龍山《たつやま》縁連《よりつら》們《ら》を討ち捕《と》りたる、事情《ことのこゝろ》を今思えば、現《げに》歹人《わるもの》にはあらざるなめり。是によりて再び思うに、曩《さき》に毛野に撃たれたる、千葉の権臣《きりもの》、馬加《まくわり》常武《つねたけ》、及《また》額蔵の荘介|們《ら》、その友|幾名《いくたり》にか撃たれたる、大石|生《うじ》の陣番|丁田《よぼろた》町進《まちのしん》、并《ならび》に卒川《いざかわ》菴《いお》八郎|軍木《ぬるで》五倍二、簸上《ひがみ》宮《きゅう》六|們《ら》が、奸詐《かんそ》旧悪|恁々《しか/″\》なりき、と死後に噂をしぬるもの、乃者《このごろ》多くて証据《あかし》もあれば、玉と石とを分別したり。しからば、初め憎う思いし、額蔵の荘介も、又犬田小文吾も、執念深《しゅうね》く祟《たゝ》るべき者にはあらず。但《たゞ》他們《かれら》は豊島《としま》の残党、犬山道節が義兄弟にて、倶《とも》に謀《はか》りて管領家を、危《あや》ううせしのみ恨むべし。この義を何と思えるや」
と問われて由充《よりみつ》阿《あ》とばかりに、謹みて答えもうすよう、
「最《いと》有りがたきまで辱《かたじ》けなき、御意《ぎょい》を承り候ものかな。実に賢査《けんさつ》し給うごとく、去年|誅戮《ちゅうりく》せられたる、那《かの》荘介と小文吾は、かの折《おり》も稟上《もうしあげ》しに錯《たが》わず、必ず同名異人にて、這回《こたび》毛野に助剣《すけだち》したるが、真《まこと》の荘介小文吾なる事、今さら疑いなきもの歟《か》。人情をもていうときは、他們《かれら》は豊島《としま》の残党たる、犬山道節に荷担して、管領家を逐《お》い奉り、且《かつ》信乃が火攻《やきうち》したる、五十子《いさらご》の城に聚合《つど》いしは、憎むべきに似たれども、亦公道をもていえば、人|各《おの/\》忠義の与《ため》にす。他們《かれら》は都《すべ》て義士なれば、那《かの》常武《つねたけ》縁連《よりつら》們《ら》と、日を同じゅうして論ずべくも候わず。然《さ》るにても痛わしく、惜しみてもなおいと惜しきは、蟹目御前《かなめごぜん》の御落命、今さら稟《もう》すも疎鹵《おろか》なるべし。誠や那《かの》おん家の蠧毒《とどく》たる、佞人《ねいじん》縁連《よりつら》們《ら》を刈り除かんとて、守如《もりゆき》に仰せ合わされて、微妙《いみじ》く謀《はか》らせ給いしに、事伝聞の差錯《まちがい》にて、惴《はや》りて刄《やいば》に伏し給いぬる、貞烈無二のおん誠心《まごころ》の、この折《おり》に稍《やゝ》見《あらわ》れて、管領|先非《せんぴ》を悔い給いしは、亡後《なきのち》までの御大功《ごたいこう》と、誰《たれ》か思い奉らざるべき。いと有りがたく候」
と稟《もう》すを箙《えびら》の大刀自《おおとじ》は、听《きゝ》つゝ涙|※[#「咤-宀」、第3水準1-14-85]《さしぐ》みて、
「然《され》ばとよ、その事なれ。嚮《さき》に蟹目《かなめ》が東国《あずま》より、はる/″\と使价《つかい》をもて、木天蓼丸《わたゝびまる》の事に就《つ》きて、久しく禁獄の聞こえある、次団太《じだんだ》とやらンが事はしも、湯島の神の御示現《ごじげん》侍り。罪なき者のよしなるを、神こそ知らせ給いたれ。いかで許させ給いねかし、と最《いと》叮寧《ねんごろ》に書※[#「褒」の「保」に代えて「臾-人」、第4水準2-88-19]《かきつめ》て、おこせし消息《しょうそこ》此《こゝ》にあり。※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》を疑うにあらねども、なお又思うよしあれば、速《とみ》の沙汰には及ばざりしに、幾程もなく五十子《いさらご》の、凶変はやく這里《こゝ》に聞こえて、胸安からざる事のみなれば、きょうまでは黙止《もだし》しかども、然《さ》しも蟹目《かなめ》が生前《しょうぜん》に、神の示現《じげん》を畏《かしこ》みて、命乞いしぬる那《かの》罪囚《つみびと》を、放《はな》ち遣《や》らずはなき人の、後世《ごせ》の障《さわ》りになりもやせん。那《かの》次団太《じだんだ》は恙《つゝが》もなくて、獄舎《ひとや》に在《あ》る歟《か》、甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57]《いか》にぞや」
と問わせ給えば、
「然《さん》候。その義も稟上《もうしあげ》んず、と思うものから暇《いとま》あらで、問われまつるこそ本意《ほい》ならね。那《かの》次団太《じだんだ》は恙《つゝが》もあらず。仰せによりて幾番《いくたび》も、拷問を遂《と》げ候いしに、陳ずる趣《おもむき》始めに差《たが》わず。木天蓼丸《わたゝびまる》のおん短刀は、船虫《ふなむし》と喚做《よびな》す、賊婦が、懐《ふところ》に隠し帯びたるを、箇様々々《かよう/\》の事により、一旦|船虫《ふなむし》を捕らえし折、那《かの》短刀は、次団太《じだんだ》が、宿所に遺《のこ》し置きたるを、事に紛《まぎ》れて訴え稟《もう》さず。※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》は土丈二《どじょうじ》に誣《しい》られて、稟解《もうしと》くべき証据《あかし》を得ざれば、免《まぬか》れがたく候、と陳ずるのみに候えば、虚実を定め難《かね》たりしに、昨日《きのう》五十子《いさらご》の城内より、来ぬる脚力《きゃくりき》の雑兵《ぞうひょう》の、売弄奇談《とわずがたり》を听《きゝ》候いしに、料《はか》らず件《くだん》の実を得たり。那《かの》船虫《ふなむし》は去歳《こぞ》の夏、当国を逃げ去りて、萍流《さそら》いて武蔵なる、司馬浜《しばはま》の辺《ほとり》に在《お》りしに、積悪《せきあく》の冥罰《みょうばつ》にて、奸夫《かんぷ》媼内《おばない》と共侶《もろとも》に、活《い》きながら暴牛《あれうし》の、角《つの》に掛けられて、突き殺されたる、背《そびら》に他們《かれら》が年来《としごろ》の、積悪《せきあく》を写《しる》してあり。是により船虫《ふなむし》が、下野《しもつけ》の赤岩に在りし時、非義|奸曲《かんきょく》の事破れて、犬村角太郎に追い放され、更に縁連《よりつら》に伴われて、下野《しもつけ》より武蔵のかたへ、倶《とも》に赴《おもむ》く旅宿《たびのやど》にて、縁連《よりつら》が携《たずさ》えたる、木天蓼《わたゝび》のおん短刀を、窃拿《ぬすみとり》て走りし事まで、この時|※[#「并+刄」、U+5259]《はじめ》て見《あらわ》れしかば、観《み》る者|都《すべ》て驚き怕《おそ》れて、神所行《かんわざ》なめりといわぬはなし。この事はやく五十子《いさらご》の、城内へ聞こえしかば、道節|們《ら》が退去の後《のち》、守城《しろあずかり》の頭人《とうにん》根角《ねずの》谷中二《やちゅうじ》、並びに美田《みたの》馭蘭二《ぎょらんじ》們《ら》、件《くだん》の船虫《ふなむし》媼内《おばない》が、首《こうべ》を斬らして、高畷《たかなわて》なる、浜辺へ並べ梟《か》けにきといえり。恁《かゝ》れば石亀屋《いしがめや》次団太《じだんだ》は、憐れむべし冤屈《むじつ》の罪にて、他《かれ》が屡《しば/\》陳ずるよしと、這那《これかれ》既に吻合《ふごう》せり。矧《いわんや》又|蟹目御前《かなめのごぜん》の、湯島の神の示現《じげん》により、過分《おおけな》くも次団太《じだんだ》の、命乞いを做《な》されしに、そのおん答えを那《かの》おん許《もと》へ、仰せ遣《つか》わさるゝ余日もあらで、反《かえ》って凶変の報《つげ》ありしかば、恐れながら当所の賞罰、神仏《しんぶつ》の冥慮《みょうりょ》に称《かな》わず、罪なき民《たみ》を苦しめ給う、応報にもやあらんずらん、と悄地《ひそか》に議するも候わん。はやく次団太《じだんだ》を赦免あらば、蟹目御前《かなめごぜん》のおん与《ため》に、是に優《まし》たる御追薦《ごついぜん》、あるびょうも候わず」
と証を援《ひ》き道理を演《の》べたる、諫言《かんげん》濃《こま》やか也ければ、然《さ》しも雄々《おお》しき箙《えびら》の大刀自《おおとじ》、胸の張り弓|稍《やゝ》弛《ゆる》みて、箭竹心《やたけごころ》の直《なお》かる本性《ほんしょう》、思い返しゝ忍辱《にんにく》の、鎧にあらぬ衣《ころも》の袖に、落つる涙を堰留《せきとめ》難《かね》て、
「現《げに》愆《あやまて》り、あやまちぬ。恥ずかしや七旬《なゝそじ》に、程遠からぬ老《おい》が身は、蟹目《かなめ》の貞実賢才に、及ばざりしを、今ようやくに、思い合わする愚魯《おろか》さよ。卒《いざ》さらば次団太《じだんだ》を、今日|速《すみやか》に赦免すべし。然《さ》れども他《かれ》が木天蓼丸《わたゝびまる》を、久しく宿所に蔵《おさ》め措《お》きて、訴えざりしは越度《おちど》也。この罪あれば、封内《りょうぶん》に在《お》ることを許しがたかり。但《たゞ》追放せば律《りつ》に称《かな》わん。這《この》義を具《つぶさ》にいい渡しね。疾々《とく/\》せよ」
といそがし給えば、由充《よりみつ》は這《この》憲断《けんだん》を、愛《めで》歓びて言承《ことうけ》しつゝ、儀《かた》のごとくに行いけり。是等の機密を次団太《じだんだ》が、聞き知るべきよしなかりしを、追放の折《おり》稲戸《いなのと》の、若党|荻野井《おぎのい》三郎が、次団太《じだんだ》に聶《さゝや》き示して、
「蟹目御前《かなめごぜん》の御仁慈《ごじんじ》と、片貝《かたかい》殿の御性直《ごせいちょく》を、こゝろ得《え》の与《ため》知らする也。汝《な》が身に取りては過分《おおけな》き、恁《かゝ》る秘密の情由《わけ》あれば、生涯御恩を忘るゝことなく、勿論《もろち》御法度《ごはっと》を畏《かしこ》みて、当国にな躱《かく》れ居《お》りそ。※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1-14-30]《もし》再犯《さいぼん》の罪あらば、その度《たび》は赦《ゆる》されがたかり。秘めよ、この義を思いねかし。稲戸《いなのと》主《ぬし》の内意ぞ」
とて、言《こと》前条《ぜんじょう》に及びしかば、次団太《じだんだ》听《きゝ》つゝ駭嘆《おどろきたん》じて、感涙《かんるい》の找《すゝ》むを覚えず。その歓びを述ぶる間もなく、雑兵《ぞうひょう》に追立《おったて》られて、ゆくこと約莫《およそ》二里|許《ばか》り、掟《おきて》られたる地方《ところ》にて、検護《みおくり》の雑兵《ぞうひょう》は、立ち別れつゝ遽《いそがわ》しく、片貝《かたかい》へかえり去りにけり。
爾程《さるほど》に百|堀《ほり》※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》は、片貝《かたかい》の沙汰を聞知《きゝし》りて、茶店《さてん》に憩《いこ》いて等《まち》て在《お》り。雑兵《ぞうひょう》們《ら》のかえりゆく程に、走り出《い》でつゝ次団太《じだんだ》を、迎えて歓びを舒《のべ》、茶店《さてん》に憩《いこ》わして、携《たずさ》え来ぬる衣児《きるもの》と、腋挿《わきざし》の刀なンどを、逓与《わた》して、准備《ようい》の食※[#「竹かんむり/甬」、第4水準2-83-48]《わりご》を啓《ひら》きて、叮寧《ねんごろ》に薦《すゝ》むる程に、却《さて》湯島にてありし事、料《はか》らずも那《かの》坐撃師《いあいし》、物四郎《ものしろう》の幇助《たすけ》を得たる、首尾《はじめおわり》を告知《つげし》らすれば、次団太《じだんだ》は亦|荻野井《おぎのい》三郎に、听《きゝ》し秘密を聶《さゝや》き示して、その物四郎《ものしろう》と喚做《よびな》したるは、犬田犬川の義兄弟、犬阪毛野|胤智《たねとも》という、勇士なりし事、石浜信濃路、両所の血戦、往日《いぬるひ》又武蔵の鈴茂林《すゞのもり》にて、復讐《あたうち》の事までも、那《かの》人の上は恁々《しか/″\》也とて、聞きたる随《まゝ》に解き知らすれば、※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》大《いた》く胆《きも》を潰《つぶ》して、
「原来《さては》我が恩人も、犬川犬田に宿因ある、犬士の隊《むれ》にておわしにけり。今こそ思い合わしたれ、然《さ》る縁《えん》なくば、頼めばとても、最《いと》做《な》しがたき技芸をもて、蟹目御前《かなめごぜん》の愛《めで》給う、※[#「けものへん+彌」、第3水準1-87-82]猴《さる》を捉《とら》え、賞《ほうび》に代えて、おん身を輒《たやす》く救われんや。さても/\」
とばかりに、良縁奇遇を感嘆しつゝ、
「この歓びに就《つ》きて亦、憎むべきは土丈二《どじょうじ》と、阿嫂《あねご》との為体《ていたらく》箇様々々《かよう/\》に候」
とて、奸淫《かんいん》不軌《ふき》の顛末《もとすえ》を、具《つぶさ》に聶《さゝや》き報《つ》げしかば、次団太《じだんだ》听《きゝ》つゝ思うよう、
「我ゆくりなく犬阪|主《ぬし》の、妙術|不測《ふしぎ》の幇助《たすけ》を得て、蟹目御前《かなめごぜん》の仁恕《じんじょ》に遇《あ》わずは、土丈二《どじょうじ》嗚呼善《おこぜ》に誣《しい》られて、獄裏《ごくり》の鬼とならんのみ。今幸いに窮鳥の、籠中《こちゅう》を出《い》でゝ棲《すみか》を易《かう》るに、做《な》す事もなく阿容々々《おめ/\》と、這奴《しゃつ》們《ら》を那《あの》儘|在《あ》らせなば、大丈夫というべからず。要こそあれ」
と尋思《しあん》をしつゝ、胸の秘密を※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》に、聶《さゝや》き示せば、
「一議に及ばず。その義|尤《もっと》もしかるべし。己《おのれ》も既にその意《こゝろ》あり。悄地《ひそか》に小千谷《おぢや》へ立ちかえりて、共侶《もろとも》に本意《ほい》を遂《と》げてん。那里《かしこ》へ到らば箇様々々《かよう/\》」
とその進退《かけひき》を定むるに、
「※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》も一刀を、帯びて来ぬれば事足れり。脱落《ぬか》りなせそ」
と悄語《さゝや》きつ、諜《しめ》し合わして、その※[#「日+熏」、第3水準1-85-42]昏《ゆうぐれ》に、身装《みごしらえ》しつ遽《いそがわ》しく、件《くだん》の茶店《さてん》を立ち去りて、烏夜《やみ》を便《たよ》りに間道《わきみち》より、連《しき》りに路次《ろじ》を急ぎしかば、小千谷《おぢや》と片貝《かたかい》の間《あわい》にて、千々三畷《ちゝみなわて》と喚做《よびな》したる、一条路《ひとすじみち》まで来にけるに、夜《よ》はまだ二更《いつゝ》に過ぎざりけり。時なお早しと思うにぞ、路傍《みちのべ》に守《も》る人|在《お》らぬ、野豬菰屋《しゝごや》あれば、立ち寄りて、※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》と共侶《もろとも》に、夜《よ》の深《ふく》るを等《ま》つ程に、忽地《たちまち》小千谷《おぢや》のかたよりして、伴当《ともびと》に張燈《ちょうちん》を、秉《と》らして這方《こなた》へ来る者あり。又|片貝《かたかい》の方《かた》よりも、張燈《ちょうちん》引提《ひさげ》て只|一個《ひとり》、這方《こなた》を臨《さ》して来ぬるあり。這那《これかれ》倶《とも》に野豬菰屋《しゝごや》の、辺《ほとり》にて邁遭《ゆきあ》いしを、他們《かれら》が張燈《ちょうちん》の火光《ほかげ》に就《つ》きて、相《み》れば紛《まが》うべくもあらぬ、小千谷《おぢや》のかたより出《い》でゝ来ぬるは、次団太《じだんだ》が妻|嗚呼善《おこぜ》にて、伴当《ともびと》は鮠《はや》八と、喚做《よびな》したる食客《かゝりびと》也。又|片貝《かたかい》のかたよりかえり来ぬるは、奸夫《かんぷ》土丈二《どじょうじ》なりければ、迭《かたみ》にはやく張燈《ちょうちん》の、花号《もん》に厶《それ》ぞ、と猜《すい》したる。嗚呼善《おこぜ》先《ま》ず声を被《か》けて、
「やよ主《ぬし》歟《か》、何《な》どて遅かりし。嚮《さき》に里長《さとおさ》故老《としより》達は、うち連れかえり来給いしに、おん身|単《ひとり》は遺《のこ》されたり。かえさの遅速は料《はか》りがたし、と聞きては胸の休らわず、立ちて見居て見、等不娯《まちわび》て、日は暮れたれど、まだ顔見ねば、思い難《かね》つゝ鮠《はや》八|刀禰《との》を、倶《ぐ》して迎えに出《い》で侍り」
という間《はし》に土丈二《どじょうじ》も、軈《やが》て近づき立ち住《とゞま》りて、
「そは亦要なき事《わざ》なりき。知らるゝごとく今日|亭午《まひる》より、猛可《にわか》に片貝《かたかい》の御館《みたち》へ召し出《いだ》されて、等《ま》つこと約莫《およそ》一|※[#「日+向」、第3水準1-85-25]《とき》有余《あまり》、ようやく仰せ出《いだ》されしは、東翁《やどろく》の事也かし。その趣《おもむき》は、木天蓼丸《わたゝびまる》の、盗賊は東路《あずまじ》なる、司馬浜《しばはま》の辺《ほとり》に在《お》りしに、這回《こたび》その罪|発覚《あらわ》れて、那《かの》地にて梟首《きゅうしゅ》せられたり。恁《かゝ》れば素《もと》より次団太《じだんだ》は、那《かの》盗賊にあらずといえども、木天蓼《わたゝび》のおん短刀を、久しく家に蔵《おさ》め措《お》きて、訴え稟《もう》さゞりし越度《おちど》あり。故《ゆえ》に那《かの》身を追放せらる。衆皆《みな/\》この義をこゝろ得よ。但《たゞ》し土丈二《どじょうじ》は、別《べち》に御用あれば、なお姑且《しばらく》等《まち》奉れ。その余《よ》は退《まか》り出《い》づべしとて、身の暇《いとま》を賜《たま》いしに、我のみ単《ひとり》遺《のこ》されて、俊寛《しゅんかん》僧都《そうず》の心地はしたれど、罪あるびょうも覚えねば、却《さて》等《まつ》程にまつほどに、下※[#「日+甫」、第3水準1-85-29]《なゝつさがり》になりし時候《ころ》、再び局《つぼ》へ召しよせられて、有司《ゆうし》達|宣《のたま》うよう、若《なんじ》は曩《さき》に次団太《じだんだ》を、木天蓼丸《わたゝびまる》の盗賊也とて、正可《まさか》に訴え稟《もう》しゝに、次団太《じだんだ》は那《かの》盗賊ならず。恁《かゝ》れば若《なんじ》も疎忽《そこつ》の罪あり。佶《き》と仰せ付けらるべきを、格別の御仁恕《ごじんじょ》もて、今番《こたび》は御沙汰《ごさた》に及ばれず。辱《かたじ》けなく思い奉りて、以後を怕《おそ》れ慎むべし。退《まか》り立ちね、と叱られて、ようやく年季は果てたれども、脾撓《ひだゆ》くはなる、小腹も立てば、城下の酒肆《さかや》へ立ち寄りて、気附薬の諸白《もろはく》は、利き方はやき五六合、塞《ふさ》ぎし胸を忽地《たちまち》に、開《ひら》き細魚《さより》の塩加減、そを又あわせ物にして、夜食も一|碗《わん》、又一|碗《わん》、飲みつ食らいつせし程に、憶《おも》わずも日を消《くら》したり」
といえば嗚呼善《おこぜ》はうち笑いて、
「然《さ》ばかりならば好《よ》けれども、事なからずや、と憖《なまじい》に、思い過ぐしのせられしかば、将有《まさか》の折《おり》の准備《ようい》になん、那這《あちこち》となく撈《さぐ》り※[#「褒」の「保」に代えて「臾-人」、第4水準2-88-19]《あつめ》て、十両|金《かね》を懐《ふところ》へ、斂《おさ》めて来ぬる夜行《よみち》に侍れば、是すら胸の安からぬ、ひとつなりしに今|這里《こゝ》より、男子《おとこ》二名《ふたり》に倶《ぐ》せらるれば、後安《うしろやす》く侍れども、今さらに後安《うしろやす》からぬは、那《かの》人の事也かし。薄情《うたて》やな、那《かの》短刀の盗児《ぬすびと》が、東国《あずま》で招了《はくじょう》せずもあらば、思いの随《まゝ》になるべかりしに、非如《よしや》追放せらるゝとも、命に恙《つゝが》なくも在らば、寤寐《ねざめ》安くは侍らずかし」
というを土丈二《どじょうじ》聞きあえず、
「※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》も亦|念《おもい》の過ぎたる也。追放せられし罪人《つみびと》が、※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1-14-30]《もし》当国に躱居《かくれお》らば、又訴えて結果《おしかたづけ》ん。然《さ》ばかりの事を知らぬ、那《かの》人にあらざれば、一トたび封疆《さかい》を立ち去りては、かえり来る日のあるべきや」
といえば鮠《はや》八|然《さ》也、と応《いらえ》て、張燈《ちょうちん》卸《おろ》して遽《いそがわ》しく、蝋燭の真《しん》を撮《つま》み棄て、
「寔《まこと》に哥々《あにき》の了簡|妙《みょう》也。人の噂に耳|引立《ひきたて》て、躱居《かくれお》ると聞知《きゝし》らば、そは亦|没怪《もっけ》の幸い也。訴え稟《もう》さば搦捕《からめと》られて、其《そ》の度《たび》は殺されん。※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1-14-30]《もし》又遠く立ち去らば、弥勒《みろく》の世までかえる日はなし。その気であるき給わずや」
といわれて嗚呼善《おこぜ》も、土丈二《どじょうじ》も、憶《おも》わず倶《とも》にうち笑いて、
「鈍《おぞ》ましかりき、何事ぞ。宿所へ還りて寛《ゆる》やかに、いうともいわるゝことなるに、這《この》途中《みちなか》に立聚合《たちつどい》て、長商議《ながだんごう》を、人ありて、聞知《きゝし》られなば争何《いかゞ》はせん。卒《いざ》ゆくべし」
という程に、風音《かぜおと》し来る猛雨《にわかあめ》、投石《つぶて》の像《ごと》く降りそゝげば、男女《なんにょ》三個《みたり》の歹人《わるもの》は、驚きながら天《そら》うち仰ぎて、
「見給え、頃者《このごろ》の日和癖《ひよりぐせ》にて、降れども星は斑点《まばら》に在《あ》り。姑且《しばらく》等《また》ば、必ず霽《は》れん、とはいえ這頭《こゝら》に家はなし、いかにすべき」
と袖を挿頭《かざ》して、
「見れば去向《ゆくて》に野豬菰屋《しゝごや》あり。一霎時《しばし》那里《あしこ》に立聚《たちつど》いて、笠宿りせん、衣《きぬ》な濡らしそ。やよとく/\」
と侶走《もろはし》りして、飛ぶが似《ごと》くに路傍《みちのべ》なる、菰屋《こや》を今宵の死所《しにどころ》と、知らぬ譬喩《たとえ》の仏《ほとけ》の座、五|行《ぎょう》鵞腹菜《はこべら》蹂躙《ふみにじ》られて、七草足らぬ路傍《みちのべ》に、斉一《ひとしく》雨を避けんとす。然《され》ば又|次団太《じだんだ》は、小千谷《おぢや》へ赴《おもむ》く中途にて、料《はか》らずも土丈二《どじょうじ》嗚呼善《おこぜ》が、鮠《はや》八と共侶《もろとも》に、這《この》路傍《みちのべ》に立聚合《たちつどい》て、うち相譚《かたら》うを見つ聞きつ、只是天の賜《たまもの》ぞ、とおもえば勇む不勝《ふしょう》の歓び、倶《とも》に性起《せきた》つ※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》を、推鎮《おししず》め耳を澄まして、且《まず》那奴《かやつ》們《ら》がいうよしを、听果《きゝはて》てこそ手を下《くだ》さめ、と深念《しあん》をしつゝ足場を量り、※[#「革+敞のへん」、U+979D]釘《めくぎ》を湿《しめ》し身を潜《ひそ》まして、なおも動静《ようす》を覘《うかゞ》う程に、俄然《がねん》として降る驟雨《むらさめ》に、慌《あわ》つる嗚呼善《おこぜ》土丈二《どじょうじ》們《ら》は、各々《おの/\》先を争うて、入らまく欲《ほり》する野豬菰屋《しゝごや》より、次団太《じだんだ》は又|出《い》でんとしたる、迭《かたみ》の勢い猶予なく、憶《おも》わず撲地《はた》と撞中《つきあた》る、男女《なんにょ》両個《ふたり》の胸前《むなさか》を、左右に丁と引抓《ひきつか》みて、怒りに乗《まか》する声も劇《はげ》しく、
「奸夫《かんぷ》淫婦|們《ら》、はや忘れし歟《か》。次団太《じだんだ》なるぞ、覚期《かくご》をせよ」
といわれて吐嗟《あなや》と駭怕《おどろきおそ》るゝ、嗚呼善《おこぜ》はさら也、土丈二《どじょうじ》も、呀阿《わあ》とばかりにを猿馬《たま》を飛ばして、振り放さんと角《すま》いしを、次団太《じだんだ》緩《ゆる》めず、中一《ひとあて》中《あ》てゝ、前面《むかい》へ撲地《はた》と蹴回《けかえ》せば、土丈二《どじょうじ》遙かに※[#「角+力」、第3水準1-91-90]斗《とんぼがえ》りて、水田《みずた》の畔《くろ》へ倒れけり。次団太《じだんだ》得たり、と抜き晃《きらめ》かす、片手なぐりの刄《やいば》の電光《いなずま》、嗚呼善《おこぜ》は右の肩尖《かたさき》を、斫《き》られて苦《あっ》と叫びも果てず、颯《さ》と濆《ほとばし》る鮮血《ちしお》と共に、虚空を抓《つか》んで仰反《のけぞ》ったり。
恁《かゝ》りし程に鮠《はや》八は、土丈二《どじょうじ》が跡に続きて、走り入《い》らまくしてけるに、今|次団太《じだんだ》と名告《なの》れる声に、胸を潰《つぶ》しつ胡譟《うろたえ》て、張燈《ちょうちん》其里《そこ》にうち棄てゝ、足に信《まか》して逃げ走るを、※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》透《すか》さず、※[#「走にょう+旱」、第4水準2-89-23]蒐《おっかけ》出《い》でゝ、
「白物《しれもの》等《まて》」
と喚《よばわ》り/\、近づく儘に腋挿《わきざし》の、刀を晃《きら》りと引き抜きて、撃つ甲斐もなく※[#「革+敞のへん」、U+979D]釘《めくぎ》走りて、柄《つか》のみ※[#「虍/丘」、第3水準1-91-45]《むな》しく手に残り、刄《やいば》は前面《むかい》へ怪蜚《けしとび》て、叢裏《くさむらのうち》に堕《お》ちしかば、鮠《はや》八これに力を得て、身を振回《ふりかえ》し衝《つ》と寄せて、四手《よつて》に亘《わた》り引組《ひきく》んで、※[#「てへん+責」]倒《ねじたお》さんとぞ揉《も》んだりける。
爾程《さるほど》に土丈二《どじょうじ》は、次団太《じだんだ》に投げられたる、痛楚《いたみ》を忍びて身を起こし、殪《たお》して逃げん、と思えども、腰に寸鉄を帯びざれば、已《や》むことを得ず、田畔《たのくろ》に、建てたる苗頃《なわしろ》の小杉木《こまろた》を、力に儘《まか》し抜拿《ぬきと》る程に、撃たんと找《すゝ》む次団太《じだんだ》を、寄せじ、と払う一生懸命、受けつ※[#「てへん+主」、第3水準1-84-73]《さゝ》えつ挑《いど》みしを、次団太《じだんだ》焦燥《いらっ》て物ともせず、踏入々々《ふみこみ/\》撃つ刃頭《きっさき》に、土丈二《どじょうじ》は利手《きゝて》を斫《き》られて、落とす杉木《まろた》を拿《と》りも得ず、逃げんとするを、次団太《じだんだ》は、走り蒐《かゝ》りて※[#「石+殷」、第3水準1-89-11]《はた》と斫《き》る、尖鋭《するど》き拳《こぶし》に土丈二《どじょうじ》は、背《そびら》を四五寸|斫劈《きりさか》れて、叫びも果てず仆《たお》れけり。その時|鮠《はや》八と挑《いど》みたる、※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》は、小角觝《こずもう》なれども、膂力《ちから》あり、修煉《しゅれん》あり。鮠《はや》八も亦|相撲《すまい》を好みて、身長《みのたけ》高く年《とし》壮《わか》ければ、技《わざ》も膂力《ちから》も相応《ふさわ》しく、敵するに足る手を尽くして、左右《そう》なく推しも伏せられず。遮莫《さばれ》命運尽きたればや、其頭《そこら》に繁《しげ》き夏草に、意《おも》わず足を縢《から》まして、辷《すべ》りて小膝を突きしかば、※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》|矢場《やにわ》に推倒《おしたお》して、登《のぼ》し蒐《かゝ》りつ胸前《むなさか》を、刺さんとするに、刄《やいば》なければ、いかにすべき、と見かえる傍《かたえ》に、手鞠《てまり》像《ばかり》の円石《まろいし》あり。こは究竟《くっきょう》、と拿《と》る手もはやく、鮠《はや》八が頭顱《こうべ》を莅《のぞ》みて、続けざまに撻《う》つ程に、肉破れ骨も摧《くだ》けけん、死活は知らず鮠《はや》八は、頭髻《もとゞり》断離《ちぎ》れ血に塗《まみ》れて、声も得たてずなりにけり。
と問われて由充《よりみつ》阿《あ》とばかりに、謹みて答えもうすよう、
「最《いと》有りがたきまで辱《かたじ》けなき、御意《ぎょい》を承り候ものかな。実に賢査《けんさつ》し給うごとく、去年|誅戮《ちゅうりく》せられたる、那《かの》荘介と小文吾は、かの折《おり》も稟上《もうしあげ》しに錯《たが》わず、必ず同名異人にて、這回《こたび》毛野に助剣《すけだち》したるが、真《まこと》の荘介小文吾なる事、今さら疑いなきもの歟《か》。人情をもていうときは、他們《かれら》は豊島《としま》の残党たる、犬山道節に荷担して、管領家を逐《お》い奉り、且《かつ》信乃が火攻《やきうち》したる、五十子《いさらご》の城に聚合《つど》いしは、憎むべきに似たれども、亦公道をもていえば、人|各《おの/\》忠義の与《ため》にす。他們《かれら》は都《すべ》て義士なれば、那《かの》常武《つねたけ》縁連《よりつら》們《ら》と、日を同じゅうして論ずべくも候わず。然《さ》るにても痛わしく、惜しみてもなおいと惜しきは、蟹目御前《かなめごぜん》の御落命、今さら稟《もう》すも疎鹵《おろか》なるべし。誠や那《かの》おん家の蠧毒《とどく》たる、佞人《ねいじん》縁連《よりつら》們《ら》を刈り除かんとて、守如《もりゆき》に仰せ合わされて、微妙《いみじ》く謀《はか》らせ給いしに、事伝聞の差錯《まちがい》にて、惴《はや》りて刄《やいば》に伏し給いぬる、貞烈無二のおん誠心《まごころ》の、この折《おり》に稍《やゝ》見《あらわ》れて、管領|先非《せんぴ》を悔い給いしは、亡後《なきのち》までの御大功《ごたいこう》と、誰《たれ》か思い奉らざるべき。いと有りがたく候」
と稟《もう》すを箙《えびら》の大刀自《おおとじ》は、听《きゝ》つゝ涙|※[#「咤-宀」、第3水準1-14-85]《さしぐ》みて、
「然《され》ばとよ、その事なれ。嚮《さき》に蟹目《かなめ》が東国《あずま》より、はる/″\と使价《つかい》をもて、木天蓼丸《わたゝびまる》の事に就《つ》きて、久しく禁獄の聞こえある、次団太《じだんだ》とやらンが事はしも、湯島の神の御示現《ごじげん》侍り。罪なき者のよしなるを、神こそ知らせ給いたれ。いかで許させ給いねかし、と最《いと》叮寧《ねんごろ》に書※[#「褒」の「保」に代えて「臾-人」、第4水準2-88-19]《かきつめ》て、おこせし消息《しょうそこ》此《こゝ》にあり。※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》を疑うにあらねども、なお又思うよしあれば、速《とみ》の沙汰には及ばざりしに、幾程もなく五十子《いさらご》の、凶変はやく這里《こゝ》に聞こえて、胸安からざる事のみなれば、きょうまでは黙止《もだし》しかども、然《さ》しも蟹目《かなめ》が生前《しょうぜん》に、神の示現《じげん》を畏《かしこ》みて、命乞いしぬる那《かの》罪囚《つみびと》を、放《はな》ち遣《や》らずはなき人の、後世《ごせ》の障《さわ》りになりもやせん。那《かの》次団太《じだんだ》は恙《つゝが》もなくて、獄舎《ひとや》に在《あ》る歟《か》、甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57]《いか》にぞや」
と問わせ給えば、
「然《さん》候。その義も稟上《もうしあげ》んず、と思うものから暇《いとま》あらで、問われまつるこそ本意《ほい》ならね。那《かの》次団太《じだんだ》は恙《つゝが》もあらず。仰せによりて幾番《いくたび》も、拷問を遂《と》げ候いしに、陳ずる趣《おもむき》始めに差《たが》わず。木天蓼丸《わたゝびまる》のおん短刀は、船虫《ふなむし》と喚做《よびな》す、賊婦が、懐《ふところ》に隠し帯びたるを、箇様々々《かよう/\》の事により、一旦|船虫《ふなむし》を捕らえし折、那《かの》短刀は、次団太《じだんだ》が、宿所に遺《のこ》し置きたるを、事に紛《まぎ》れて訴え稟《もう》さず。※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》は土丈二《どじょうじ》に誣《しい》られて、稟解《もうしと》くべき証据《あかし》を得ざれば、免《まぬか》れがたく候、と陳ずるのみに候えば、虚実を定め難《かね》たりしに、昨日《きのう》五十子《いさらご》の城内より、来ぬる脚力《きゃくりき》の雑兵《ぞうひょう》の、売弄奇談《とわずがたり》を听《きゝ》候いしに、料《はか》らず件《くだん》の実を得たり。那《かの》船虫《ふなむし》は去歳《こぞ》の夏、当国を逃げ去りて、萍流《さそら》いて武蔵なる、司馬浜《しばはま》の辺《ほとり》に在《お》りしに、積悪《せきあく》の冥罰《みょうばつ》にて、奸夫《かんぷ》媼内《おばない》と共侶《もろとも》に、活《い》きながら暴牛《あれうし》の、角《つの》に掛けられて、突き殺されたる、背《そびら》に他們《かれら》が年来《としごろ》の、積悪《せきあく》を写《しる》してあり。是により船虫《ふなむし》が、下野《しもつけ》の赤岩に在りし時、非義|奸曲《かんきょく》の事破れて、犬村角太郎に追い放され、更に縁連《よりつら》に伴われて、下野《しもつけ》より武蔵のかたへ、倶《とも》に赴《おもむ》く旅宿《たびのやど》にて、縁連《よりつら》が携《たずさ》えたる、木天蓼《わたゝび》のおん短刀を、窃拿《ぬすみとり》て走りし事まで、この時|※[#「并+刄」、U+5259]《はじめ》て見《あらわ》れしかば、観《み》る者|都《すべ》て驚き怕《おそ》れて、神所行《かんわざ》なめりといわぬはなし。この事はやく五十子《いさらご》の、城内へ聞こえしかば、道節|們《ら》が退去の後《のち》、守城《しろあずかり》の頭人《とうにん》根角《ねずの》谷中二《やちゅうじ》、並びに美田《みたの》馭蘭二《ぎょらんじ》們《ら》、件《くだん》の船虫《ふなむし》媼内《おばない》が、首《こうべ》を斬らして、高畷《たかなわて》なる、浜辺へ並べ梟《か》けにきといえり。恁《かゝ》れば石亀屋《いしがめや》次団太《じだんだ》は、憐れむべし冤屈《むじつ》の罪にて、他《かれ》が屡《しば/\》陳ずるよしと、這那《これかれ》既に吻合《ふごう》せり。矧《いわんや》又|蟹目御前《かなめのごぜん》の、湯島の神の示現《じげん》により、過分《おおけな》くも次団太《じだんだ》の、命乞いを做《な》されしに、そのおん答えを那《かの》おん許《もと》へ、仰せ遣《つか》わさるゝ余日もあらで、反《かえ》って凶変の報《つげ》ありしかば、恐れながら当所の賞罰、神仏《しんぶつ》の冥慮《みょうりょ》に称《かな》わず、罪なき民《たみ》を苦しめ給う、応報にもやあらんずらん、と悄地《ひそか》に議するも候わん。はやく次団太《じだんだ》を赦免あらば、蟹目御前《かなめごぜん》のおん与《ため》に、是に優《まし》たる御追薦《ごついぜん》、あるびょうも候わず」
と証を援《ひ》き道理を演《の》べたる、諫言《かんげん》濃《こま》やか也ければ、然《さ》しも雄々《おお》しき箙《えびら》の大刀自《おおとじ》、胸の張り弓|稍《やゝ》弛《ゆる》みて、箭竹心《やたけごころ》の直《なお》かる本性《ほんしょう》、思い返しゝ忍辱《にんにく》の、鎧にあらぬ衣《ころも》の袖に、落つる涙を堰留《せきとめ》難《かね》て、
「現《げに》愆《あやまて》り、あやまちぬ。恥ずかしや七旬《なゝそじ》に、程遠からぬ老《おい》が身は、蟹目《かなめ》の貞実賢才に、及ばざりしを、今ようやくに、思い合わする愚魯《おろか》さよ。卒《いざ》さらば次団太《じだんだ》を、今日|速《すみやか》に赦免すべし。然《さ》れども他《かれ》が木天蓼丸《わたゝびまる》を、久しく宿所に蔵《おさ》め措《お》きて、訴えざりしは越度《おちど》也。この罪あれば、封内《りょうぶん》に在《お》ることを許しがたかり。但《たゞ》追放せば律《りつ》に称《かな》わん。這《この》義を具《つぶさ》にいい渡しね。疾々《とく/\》せよ」
といそがし給えば、由充《よりみつ》は這《この》憲断《けんだん》を、愛《めで》歓びて言承《ことうけ》しつゝ、儀《かた》のごとくに行いけり。是等の機密を次団太《じだんだ》が、聞き知るべきよしなかりしを、追放の折《おり》稲戸《いなのと》の、若党|荻野井《おぎのい》三郎が、次団太《じだんだ》に聶《さゝや》き示して、
「蟹目御前《かなめごぜん》の御仁慈《ごじんじ》と、片貝《かたかい》殿の御性直《ごせいちょく》を、こゝろ得《え》の与《ため》知らする也。汝《な》が身に取りては過分《おおけな》き、恁《かゝ》る秘密の情由《わけ》あれば、生涯御恩を忘るゝことなく、勿論《もろち》御法度《ごはっと》を畏《かしこ》みて、当国にな躱《かく》れ居《お》りそ。※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1-14-30]《もし》再犯《さいぼん》の罪あらば、その度《たび》は赦《ゆる》されがたかり。秘めよ、この義を思いねかし。稲戸《いなのと》主《ぬし》の内意ぞ」
とて、言《こと》前条《ぜんじょう》に及びしかば、次団太《じだんだ》听《きゝ》つゝ駭嘆《おどろきたん》じて、感涙《かんるい》の找《すゝ》むを覚えず。その歓びを述ぶる間もなく、雑兵《ぞうひょう》に追立《おったて》られて、ゆくこと約莫《およそ》二里|許《ばか》り、掟《おきて》られたる地方《ところ》にて、検護《みおくり》の雑兵《ぞうひょう》は、立ち別れつゝ遽《いそがわ》しく、片貝《かたかい》へかえり去りにけり。
爾程《さるほど》に百|堀《ほり》※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》は、片貝《かたかい》の沙汰を聞知《きゝし》りて、茶店《さてん》に憩《いこ》いて等《まち》て在《お》り。雑兵《ぞうひょう》們《ら》のかえりゆく程に、走り出《い》でつゝ次団太《じだんだ》を、迎えて歓びを舒《のべ》、茶店《さてん》に憩《いこ》わして、携《たずさ》え来ぬる衣児《きるもの》と、腋挿《わきざし》の刀なンどを、逓与《わた》して、准備《ようい》の食※[#「竹かんむり/甬」、第4水準2-83-48]《わりご》を啓《ひら》きて、叮寧《ねんごろ》に薦《すゝ》むる程に、却《さて》湯島にてありし事、料《はか》らずも那《かの》坐撃師《いあいし》、物四郎《ものしろう》の幇助《たすけ》を得たる、首尾《はじめおわり》を告知《つげし》らすれば、次団太《じだんだ》は亦|荻野井《おぎのい》三郎に、听《きゝ》し秘密を聶《さゝや》き示して、その物四郎《ものしろう》と喚做《よびな》したるは、犬田犬川の義兄弟、犬阪毛野|胤智《たねとも》という、勇士なりし事、石浜信濃路、両所の血戦、往日《いぬるひ》又武蔵の鈴茂林《すゞのもり》にて、復讐《あたうち》の事までも、那《かの》人の上は恁々《しか/″\》也とて、聞きたる随《まゝ》に解き知らすれば、※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》大《いた》く胆《きも》を潰《つぶ》して、
「原来《さては》我が恩人も、犬川犬田に宿因ある、犬士の隊《むれ》にておわしにけり。今こそ思い合わしたれ、然《さ》る縁《えん》なくば、頼めばとても、最《いと》做《な》しがたき技芸をもて、蟹目御前《かなめごぜん》の愛《めで》給う、※[#「けものへん+彌」、第3水準1-87-82]猴《さる》を捉《とら》え、賞《ほうび》に代えて、おん身を輒《たやす》く救われんや。さても/\」
とばかりに、良縁奇遇を感嘆しつゝ、
「この歓びに就《つ》きて亦、憎むべきは土丈二《どじょうじ》と、阿嫂《あねご》との為体《ていたらく》箇様々々《かよう/\》に候」
とて、奸淫《かんいん》不軌《ふき》の顛末《もとすえ》を、具《つぶさ》に聶《さゝや》き報《つ》げしかば、次団太《じだんだ》听《きゝ》つゝ思うよう、
「我ゆくりなく犬阪|主《ぬし》の、妙術|不測《ふしぎ》の幇助《たすけ》を得て、蟹目御前《かなめごぜん》の仁恕《じんじょ》に遇《あ》わずは、土丈二《どじょうじ》嗚呼善《おこぜ》に誣《しい》られて、獄裏《ごくり》の鬼とならんのみ。今幸いに窮鳥の、籠中《こちゅう》を出《い》でゝ棲《すみか》を易《かう》るに、做《な》す事もなく阿容々々《おめ/\》と、這奴《しゃつ》們《ら》を那《あの》儘|在《あ》らせなば、大丈夫というべからず。要こそあれ」
と尋思《しあん》をしつゝ、胸の秘密を※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》に、聶《さゝや》き示せば、
「一議に及ばず。その義|尤《もっと》もしかるべし。己《おのれ》も既にその意《こゝろ》あり。悄地《ひそか》に小千谷《おぢや》へ立ちかえりて、共侶《もろとも》に本意《ほい》を遂《と》げてん。那里《かしこ》へ到らば箇様々々《かよう/\》」
とその進退《かけひき》を定むるに、
「※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》も一刀を、帯びて来ぬれば事足れり。脱落《ぬか》りなせそ」
と悄語《さゝや》きつ、諜《しめ》し合わして、その※[#「日+熏」、第3水準1-85-42]昏《ゆうぐれ》に、身装《みごしらえ》しつ遽《いそがわ》しく、件《くだん》の茶店《さてん》を立ち去りて、烏夜《やみ》を便《たよ》りに間道《わきみち》より、連《しき》りに路次《ろじ》を急ぎしかば、小千谷《おぢや》と片貝《かたかい》の間《あわい》にて、千々三畷《ちゝみなわて》と喚做《よびな》したる、一条路《ひとすじみち》まで来にけるに、夜《よ》はまだ二更《いつゝ》に過ぎざりけり。時なお早しと思うにぞ、路傍《みちのべ》に守《も》る人|在《お》らぬ、野豬菰屋《しゝごや》あれば、立ち寄りて、※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》と共侶《もろとも》に、夜《よ》の深《ふく》るを等《ま》つ程に、忽地《たちまち》小千谷《おぢや》のかたよりして、伴当《ともびと》に張燈《ちょうちん》を、秉《と》らして這方《こなた》へ来る者あり。又|片貝《かたかい》の方《かた》よりも、張燈《ちょうちん》引提《ひさげ》て只|一個《ひとり》、這方《こなた》を臨《さ》して来ぬるあり。這那《これかれ》倶《とも》に野豬菰屋《しゝごや》の、辺《ほとり》にて邁遭《ゆきあ》いしを、他們《かれら》が張燈《ちょうちん》の火光《ほかげ》に就《つ》きて、相《み》れば紛《まが》うべくもあらぬ、小千谷《おぢや》のかたより出《い》でゝ来ぬるは、次団太《じだんだ》が妻|嗚呼善《おこぜ》にて、伴当《ともびと》は鮠《はや》八と、喚做《よびな》したる食客《かゝりびと》也。又|片貝《かたかい》のかたよりかえり来ぬるは、奸夫《かんぷ》土丈二《どじょうじ》なりければ、迭《かたみ》にはやく張燈《ちょうちん》の、花号《もん》に厶《それ》ぞ、と猜《すい》したる。嗚呼善《おこぜ》先《ま》ず声を被《か》けて、
「やよ主《ぬし》歟《か》、何《な》どて遅かりし。嚮《さき》に里長《さとおさ》故老《としより》達は、うち連れかえり来給いしに、おん身|単《ひとり》は遺《のこ》されたり。かえさの遅速は料《はか》りがたし、と聞きては胸の休らわず、立ちて見居て見、等不娯《まちわび》て、日は暮れたれど、まだ顔見ねば、思い難《かね》つゝ鮠《はや》八|刀禰《との》を、倶《ぐ》して迎えに出《い》で侍り」
という間《はし》に土丈二《どじょうじ》も、軈《やが》て近づき立ち住《とゞま》りて、
「そは亦要なき事《わざ》なりき。知らるゝごとく今日|亭午《まひる》より、猛可《にわか》に片貝《かたかい》の御館《みたち》へ召し出《いだ》されて、等《ま》つこと約莫《およそ》一|※[#「日+向」、第3水準1-85-25]《とき》有余《あまり》、ようやく仰せ出《いだ》されしは、東翁《やどろく》の事也かし。その趣《おもむき》は、木天蓼丸《わたゝびまる》の、盗賊は東路《あずまじ》なる、司馬浜《しばはま》の辺《ほとり》に在《お》りしに、這回《こたび》その罪|発覚《あらわ》れて、那《かの》地にて梟首《きゅうしゅ》せられたり。恁《かゝ》れば素《もと》より次団太《じだんだ》は、那《かの》盗賊にあらずといえども、木天蓼《わたゝび》のおん短刀を、久しく家に蔵《おさ》め措《お》きて、訴え稟《もう》さゞりし越度《おちど》あり。故《ゆえ》に那《かの》身を追放せらる。衆皆《みな/\》この義をこゝろ得よ。但《たゞ》し土丈二《どじょうじ》は、別《べち》に御用あれば、なお姑且《しばらく》等《まち》奉れ。その余《よ》は退《まか》り出《い》づべしとて、身の暇《いとま》を賜《たま》いしに、我のみ単《ひとり》遺《のこ》されて、俊寛《しゅんかん》僧都《そうず》の心地はしたれど、罪あるびょうも覚えねば、却《さて》等《まつ》程にまつほどに、下※[#「日+甫」、第3水準1-85-29]《なゝつさがり》になりし時候《ころ》、再び局《つぼ》へ召しよせられて、有司《ゆうし》達|宣《のたま》うよう、若《なんじ》は曩《さき》に次団太《じだんだ》を、木天蓼丸《わたゝびまる》の盗賊也とて、正可《まさか》に訴え稟《もう》しゝに、次団太《じだんだ》は那《かの》盗賊ならず。恁《かゝ》れば若《なんじ》も疎忽《そこつ》の罪あり。佶《き》と仰せ付けらるべきを、格別の御仁恕《ごじんじょ》もて、今番《こたび》は御沙汰《ごさた》に及ばれず。辱《かたじ》けなく思い奉りて、以後を怕《おそ》れ慎むべし。退《まか》り立ちね、と叱られて、ようやく年季は果てたれども、脾撓《ひだゆ》くはなる、小腹も立てば、城下の酒肆《さかや》へ立ち寄りて、気附薬の諸白《もろはく》は、利き方はやき五六合、塞《ふさ》ぎし胸を忽地《たちまち》に、開《ひら》き細魚《さより》の塩加減、そを又あわせ物にして、夜食も一|碗《わん》、又一|碗《わん》、飲みつ食らいつせし程に、憶《おも》わずも日を消《くら》したり」
といえば嗚呼善《おこぜ》はうち笑いて、
「然《さ》ばかりならば好《よ》けれども、事なからずや、と憖《なまじい》に、思い過ぐしのせられしかば、将有《まさか》の折《おり》の准備《ようい》になん、那這《あちこち》となく撈《さぐ》り※[#「褒」の「保」に代えて「臾-人」、第4水準2-88-19]《あつめ》て、十両|金《かね》を懐《ふところ》へ、斂《おさ》めて来ぬる夜行《よみち》に侍れば、是すら胸の安からぬ、ひとつなりしに今|這里《こゝ》より、男子《おとこ》二名《ふたり》に倶《ぐ》せらるれば、後安《うしろやす》く侍れども、今さらに後安《うしろやす》からぬは、那《かの》人の事也かし。薄情《うたて》やな、那《かの》短刀の盗児《ぬすびと》が、東国《あずま》で招了《はくじょう》せずもあらば、思いの随《まゝ》になるべかりしに、非如《よしや》追放せらるゝとも、命に恙《つゝが》なくも在らば、寤寐《ねざめ》安くは侍らずかし」
というを土丈二《どじょうじ》聞きあえず、
「※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》も亦|念《おもい》の過ぎたる也。追放せられし罪人《つみびと》が、※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1-14-30]《もし》当国に躱居《かくれお》らば、又訴えて結果《おしかたづけ》ん。然《さ》ばかりの事を知らぬ、那《かの》人にあらざれば、一トたび封疆《さかい》を立ち去りては、かえり来る日のあるべきや」
といえば鮠《はや》八|然《さ》也、と応《いらえ》て、張燈《ちょうちん》卸《おろ》して遽《いそがわ》しく、蝋燭の真《しん》を撮《つま》み棄て、
「寔《まこと》に哥々《あにき》の了簡|妙《みょう》也。人の噂に耳|引立《ひきたて》て、躱居《かくれお》ると聞知《きゝし》らば、そは亦|没怪《もっけ》の幸い也。訴え稟《もう》さば搦捕《からめと》られて、其《そ》の度《たび》は殺されん。※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1-14-30]《もし》又遠く立ち去らば、弥勒《みろく》の世までかえる日はなし。その気であるき給わずや」
といわれて嗚呼善《おこぜ》も、土丈二《どじょうじ》も、憶《おも》わず倶《とも》にうち笑いて、
「鈍《おぞ》ましかりき、何事ぞ。宿所へ還りて寛《ゆる》やかに、いうともいわるゝことなるに、這《この》途中《みちなか》に立聚合《たちつどい》て、長商議《ながだんごう》を、人ありて、聞知《きゝし》られなば争何《いかゞ》はせん。卒《いざ》ゆくべし」
という程に、風音《かぜおと》し来る猛雨《にわかあめ》、投石《つぶて》の像《ごと》く降りそゝげば、男女《なんにょ》三個《みたり》の歹人《わるもの》は、驚きながら天《そら》うち仰ぎて、
「見給え、頃者《このごろ》の日和癖《ひよりぐせ》にて、降れども星は斑点《まばら》に在《あ》り。姑且《しばらく》等《また》ば、必ず霽《は》れん、とはいえ這頭《こゝら》に家はなし、いかにすべき」
と袖を挿頭《かざ》して、
「見れば去向《ゆくて》に野豬菰屋《しゝごや》あり。一霎時《しばし》那里《あしこ》に立聚《たちつど》いて、笠宿りせん、衣《きぬ》な濡らしそ。やよとく/\」
と侶走《もろはし》りして、飛ぶが似《ごと》くに路傍《みちのべ》なる、菰屋《こや》を今宵の死所《しにどころ》と、知らぬ譬喩《たとえ》の仏《ほとけ》の座、五|行《ぎょう》鵞腹菜《はこべら》蹂躙《ふみにじ》られて、七草足らぬ路傍《みちのべ》に、斉一《ひとしく》雨を避けんとす。然《され》ば又|次団太《じだんだ》は、小千谷《おぢや》へ赴《おもむ》く中途にて、料《はか》らずも土丈二《どじょうじ》嗚呼善《おこぜ》が、鮠《はや》八と共侶《もろとも》に、這《この》路傍《みちのべ》に立聚合《たちつどい》て、うち相譚《かたら》うを見つ聞きつ、只是天の賜《たまもの》ぞ、とおもえば勇む不勝《ふしょう》の歓び、倶《とも》に性起《せきた》つ※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》を、推鎮《おししず》め耳を澄まして、且《まず》那奴《かやつ》們《ら》がいうよしを、听果《きゝはて》てこそ手を下《くだ》さめ、と深念《しあん》をしつゝ足場を量り、※[#「革+敞のへん」、U+979D]釘《めくぎ》を湿《しめ》し身を潜《ひそ》まして、なおも動静《ようす》を覘《うかゞ》う程に、俄然《がねん》として降る驟雨《むらさめ》に、慌《あわ》つる嗚呼善《おこぜ》土丈二《どじょうじ》們《ら》は、各々《おの/\》先を争うて、入らまく欲《ほり》する野豬菰屋《しゝごや》より、次団太《じだんだ》は又|出《い》でんとしたる、迭《かたみ》の勢い猶予なく、憶《おも》わず撲地《はた》と撞中《つきあた》る、男女《なんにょ》両個《ふたり》の胸前《むなさか》を、左右に丁と引抓《ひきつか》みて、怒りに乗《まか》する声も劇《はげ》しく、
「奸夫《かんぷ》淫婦|們《ら》、はや忘れし歟《か》。次団太《じだんだ》なるぞ、覚期《かくご》をせよ」
といわれて吐嗟《あなや》と駭怕《おどろきおそ》るゝ、嗚呼善《おこぜ》はさら也、土丈二《どじょうじ》も、呀阿《わあ》とばかりにを猿馬《たま》を飛ばして、振り放さんと角《すま》いしを、次団太《じだんだ》緩《ゆる》めず、中一《ひとあて》中《あ》てゝ、前面《むかい》へ撲地《はた》と蹴回《けかえ》せば、土丈二《どじょうじ》遙かに※[#「角+力」、第3水準1-91-90]斗《とんぼがえ》りて、水田《みずた》の畔《くろ》へ倒れけり。次団太《じだんだ》得たり、と抜き晃《きらめ》かす、片手なぐりの刄《やいば》の電光《いなずま》、嗚呼善《おこぜ》は右の肩尖《かたさき》を、斫《き》られて苦《あっ》と叫びも果てず、颯《さ》と濆《ほとばし》る鮮血《ちしお》と共に、虚空を抓《つか》んで仰反《のけぞ》ったり。
恁《かゝ》りし程に鮠《はや》八は、土丈二《どじょうじ》が跡に続きて、走り入《い》らまくしてけるに、今|次団太《じだんだ》と名告《なの》れる声に、胸を潰《つぶ》しつ胡譟《うろたえ》て、張燈《ちょうちん》其里《そこ》にうち棄てゝ、足に信《まか》して逃げ走るを、※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》透《すか》さず、※[#「走にょう+旱」、第4水準2-89-23]蒐《おっかけ》出《い》でゝ、
「白物《しれもの》等《まて》」
と喚《よばわ》り/\、近づく儘に腋挿《わきざし》の、刀を晃《きら》りと引き抜きて、撃つ甲斐もなく※[#「革+敞のへん」、U+979D]釘《めくぎ》走りて、柄《つか》のみ※[#「虍/丘」、第3水準1-91-45]《むな》しく手に残り、刄《やいば》は前面《むかい》へ怪蜚《けしとび》て、叢裏《くさむらのうち》に堕《お》ちしかば、鮠《はや》八これに力を得て、身を振回《ふりかえ》し衝《つ》と寄せて、四手《よつて》に亘《わた》り引組《ひきく》んで、※[#「てへん+責」]倒《ねじたお》さんとぞ揉《も》んだりける。
爾程《さるほど》に土丈二《どじょうじ》は、次団太《じだんだ》に投げられたる、痛楚《いたみ》を忍びて身を起こし、殪《たお》して逃げん、と思えども、腰に寸鉄を帯びざれば、已《や》むことを得ず、田畔《たのくろ》に、建てたる苗頃《なわしろ》の小杉木《こまろた》を、力に儘《まか》し抜拿《ぬきと》る程に、撃たんと找《すゝ》む次団太《じだんだ》を、寄せじ、と払う一生懸命、受けつ※[#「てへん+主」、第3水準1-84-73]《さゝ》えつ挑《いど》みしを、次団太《じだんだ》焦燥《いらっ》て物ともせず、踏入々々《ふみこみ/\》撃つ刃頭《きっさき》に、土丈二《どじょうじ》は利手《きゝて》を斫《き》られて、落とす杉木《まろた》を拿《と》りも得ず、逃げんとするを、次団太《じだんだ》は、走り蒐《かゝ》りて※[#「石+殷」、第3水準1-89-11]《はた》と斫《き》る、尖鋭《するど》き拳《こぶし》に土丈二《どじょうじ》は、背《そびら》を四五寸|斫劈《きりさか》れて、叫びも果てず仆《たお》れけり。その時|鮠《はや》八と挑《いど》みたる、※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》は、小角觝《こずもう》なれども、膂力《ちから》あり、修煉《しゅれん》あり。鮠《はや》八も亦|相撲《すまい》を好みて、身長《みのたけ》高く年《とし》壮《わか》ければ、技《わざ》も膂力《ちから》も相応《ふさわ》しく、敵するに足る手を尽くして、左右《そう》なく推しも伏せられず。遮莫《さばれ》命運尽きたればや、其頭《そこら》に繁《しげ》き夏草に、意《おも》わず足を縢《から》まして、辷《すべ》りて小膝を突きしかば、※[#「魚+皀+卩」、第3水準1-94-46]三《ふなぞう》|矢場《やにわ》に推倒《おしたお》して、登《のぼ》し蒐《かゝ》りつ胸前《むなさか》を、刺さんとするに、刄《やいば》なければ、いかにすべき、と見かえる傍《かたえ》に、手鞠《てまり》像《ばかり》の円石《まろいし》あり。こは究竟《くっきょう》、と拿《と》る手もはやく、鮠《はや》八が頭顱《こうべ》を莅《のぞ》みて、続けざまに撻《う》つ程に、肉破れ骨も摧《くだ》けけん、死活は知らず鮠《はや》八は、頭髻《もとゞり》断離《ちぎ》れ血に塗《まみ》れて、声も得たてずなりにけり。
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