南総里見八犬伝 第九揖巻之二十六(一)

   第百四十回

 紹前頭表後話《さればそののち》、犬江親兵衛は、馬上に香車介《きょうしゃのすけ》直通《なおみち》と、槍を合わする奮勇《ふんゆう》突戦、一上一下《いちじょういちげ》と、修煉《しゅれん》の妙要《みょうよう》、当たるべくもあらざりし、直通《なおみち》は突かるゝ毎《ごと》に、親兵衛が槍の尖頭《ほさき》なる、嚢《ふくろ》の白粉《しろこ》に塗《まみ》れられて、黒き外套《はおり》も、胸盾《むねあて》さえ、白点斑駁《かのこまだら》になりしかば、雄飛雌伏《ゆうひしふく》の勢い分明《ふんみょう》、事|早《はや》こゝに果てなん、と人みな瞬《またゝ》きもせで※[#「虎+見」の「儿」に代えて「助のへん」、第4水準2-88-41]《み》る折《おり》から、又|那《かの》紀内《きのうち》鬼平五《きへいご》景紀《かげとし》は、西のかたなる小門《こもん》より、馬を驀直《まっしぐら》に走らし来て、衝《つ》と乗り抜けて、親兵衛の、後方《あとべ》を距《さ》ること十間|許《ばか》り、馬を旋《めぐ》らし跨居《のりすえ》て、准備《ようい》の布の嚢《ふくろ》なる、小石を抓《つか》んで、声高やかに、
「犬江親兵衛|正《まさ》に听《き》け。当《とう》管領家の御内《みうち》にて、今三町《いまさんちょう》と綽号《あだな》せられし、飛礫《つぶて》の鬼平五《きへいご》こゝに在《あ》り。海内《かいだい》無双《ぶそう》、自得の一石《ひといし》、受けても見よや」
 と喚《よばわ》りて、項《うなじ》を臨《のぞ》んで※[#「石+殷」、第3水準1-89-11]《はた》と擲《う》つ。然《さ》しも※[#「穴かんむり/鬼」]《ねらい》は錯《たが》わねど、親兵衛はやく直通《なおみち》の、槍を縢《から》んで、その身を左へ、閃《ひら》りと避くる馬上の剽姚《はやわざ》、斜めになりしその隙《ひま》に、投石《つぶて》は空《あだ》に飛び過ぎて、親兵衛と厮《あい》戦う、香車介《きょうしゃのすけ》直通《なおみち》は、眉間《みけん》を撲地《はた》と打ち破られて、窮所《きゅうしょ》の痛痍《いたで》に、一霎時《しばし》も得《え》堪《た》えず、馬より※[#「てへん+堂」、第4水準2-13-41]《どう》と墜《お》ちてンけり。
 恁《かく》てぞ鬼平五《きへいご》景紀《かげとし》は、愆《あやまち》しつ、と驚き※[#「目+條」]《あわ》てゝ、二《ふた》たび小石を掻抓《かいつか》む、那《かの》時遅し、這《この》時速し、親兵衛も亦|懐《ふところ》に、准備《ようい》の小石を拿《と》る手も見せず、身を揉返《ねじかえ》して丁と擲《う》つ、修煉《しゅれん》神速《しんそく》、毫《ちっと》も差《たが》わず、景紀《かげとし》も亦|額《ひたい》を打たれて、濆《ほとばし》る血と共侶《もろとも》に、一声《ひとこえ》苦《あっ》と叫びも果てず、脚《あし》空《そら》ざまに馬上より、斤斗《とんぼがえ》りて墜《お》ちにけり。
 登時《そのとき》介添《かいぞい》の武士、直通《なおみち》の門人、警固の足卒《あしがろ》、執※[#「金+塵」の「土」に代えて「れんが」、第3水準1-93-42]《くちとり》の奴隷《しもべ》まで、驚き呆れて、皆|東西《あちこち》へ、走り寄りつゝ、両個《ふたり》の傷瘡児《ておい》を、勦《いたわ》りつ抱《いだ》き起こして、膂力《ちから》ある者はこれを駝《お》い、後《あと》に立つ者は脚《あし》を吊《つ》り、又|※[#「金+塵」の「土」に代えて「れんが」、第3水準1-93-42]奴《くちとり》等は、二頭《にひき》の馬を、牽駐《ひきとゞ》め推鎮《おししず》めて、退《まか》りて小門《こもん》を出《い》でゝゆくを、本意《ほい》なく思う毎《ともがら》は、これが為に面《おもて》を掩《おお》い、又理義を弁《わきま》えたる老兵《ふるつわもの》は、
「景紀《かげとし》が小技《わざ》に誇りて、敵手《あいて》を得《え》知らず、世の俊傑《すぐれびと》を、家鹿《ねずみ》小禽《ことり》に斉《ひと》しとや思いけん、犬江が剽姚《はやわざ》に眼《まなこ》眩《くら》みて、同士撃《どしうち》したるのみならず、反《かえ》って那《かの》身は犬江が飛礫《つぶて》に、打たれて死活も知らずなりしは、直通《なおみち》に増す不覚也。是に就《つ》きても那《かの》少年は、神の化現《けげん》歟《か》、夜叉天狗|歟《か》、怕《おそ》るべし/\」
 と称《たゝ》えて感じあえりける。
 是よりして、又騎射|騎銃《きてっぽう》の試合《うちあわせ》なれば、親兵衛も馬を返して、憩《いこ》いて其《そ》の准備《ようい》を整うるに、予《かね》ては射※[#「土へん+朶」、第3水準1-15-42]《あづち》に※[#「革+巴」、U+9776]子《まと》を建てゝ、各《おの/\》これをもて、其《そ》の巧拙を試みるべし、とありしを、種子島《たねこしま》中太《ちゅうた》正告《まさのり》これを難じて稟《もう》さく、
「※[#「革+巴」、U+9776]子《まと》は一寸の小さきをもてせらるゝとも、素《もと》より是死物也。人の身は、是に五十|乗《じょう》して、其《そ》の長《たけ》五尺に余れども、則《すなわ》ち是|活物《かつぶつ》也。然《され》ば一寸の的《まと》を外《はず》さで、その鳥珠《たゞなか》を貫くは易《やす》く、乱軍|奔馬《ほんば》の中《うち》にして、或いは鉄砲、或いは弓箭《ゆみや》をもて、その指《さ》す敵を殪《たお》さんことは、倒《なか/\》にかたき技《わざ》也。今愚意をもてこの義を做《な》さば、親兵衛並びに我們《われ/\》二人《ににん》、倶《とも》に綾藺笠《あやいがさ》を戴《いたゞ》きて、笠頭《かさのうえ》に小的《こまと》を建て、馬を縦横《じゅうおう》に走らして、放者《うつもの》は放《う》ち、射る者は射ば、その技《わざ》小笠掛《こがさがけ》に似て、小笠掛《こがさがけ》より、猶《なお》かたくこそ候わめ。願うはこの義を許させ給え。只|庸常《よのつね》なる射※[#「土へん+朶」、第3水準1-15-42]《あづち》の小的《こまと》は、誰《たれ》も做《な》すべく候えば、その巧拙を見《あらわ》すに足らず。賢慮を仰ぎ奉る」
 と只管《ひたすら》に請いけるを、政元《まさもと》聴かず、頭《こうべ》を掉《ふ》りて、
「※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》は極《きわ》めて危《あや》うき所行《わざ》也。※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1-14-30]《もし》其《そ》の銃口《つゝさき》一尺|差《たが》わば、誰《たれ》か命を喪《うしな》わざらん。死しても恨みなきよしを、誓書《ちかいぶみ》に載《の》せたれども、弓箭《ゆみや》火銃《てっぽう》は格別也。無用々々」
 と禁《とゞ》むれば、正告《まさのり》又|稟《もう》すよう、
「御意《ぎょい》に悖《もと》らば罪|得《え》がましく、恐れある義に候えども、昔|保元《ほうげん》の戦いに、那《かの》為朝《ためとも》の強弓《つよゆみ》なるも、寄隊《よせて》の大将|義朝《よしとも》は、兄なる故《ゆえ》に射て殺さず、只その頭鎧《かぶと》の緒《お》を射断《いきっ》て、驚き走らせし例《ためし》もあり。鉄砲は近き比《ころ》、蠻貊《ばんはく》載《の》せ来たる兵器《うちもの》にて、いまだこの土《ど》に多からねば、其頭《そこら》の例《ためし》なしといえども、善《よ》くする者は、弓箭《ゆみや》に勝《まさ》りて、百発百中疑いなし。いかで/\」
 と諄返《くりかえ》すを、政元《まさもと》聞きつゝうち笑いて、
「現《げに》その至妙《しみょう》に至りては、則《すなわ》ち弓箭《ゆみや》と鉄砲と、その要《よう》異なることなき者なり。しかれども、中太《ちゅうた》は己《おのれ》を知れるのみ、親兵衛が修煉《しゅれん》剽姚《はやわざ》、よく鬼平五《きへいご》の飛礫《つぶて》を避けて、反《かえ》って鬼平五《きへいご》を打墜《うちおと》したり。恁《かゝ》れば中太《ちゅうた》が鉄砲も、いまだ必ずとすべからず。況《まいて》や奔馬《ほんば》乱争《らんそう》して、※[#「走にょう+干」、U+8D76]《お》いつ※[#「走にょう+干」、U+8D76]《お》われつ各々《おのも/\》、箭《や》を発《はな》ち丸《たま》を飛ばさば、憶《おも》わず翦《それ》て、仮※[#「广+技」、U+5EAA]閣《さじき》に造《いた》り、或いは介添《かいぞい》実検使《じっけんし》、或いは警固の走卒《あしがろ》を、損《そこな》い傷《やぶ》ることもあらん歟《か》。是も亦知るべからず。然《さ》る危《あや》うき技《わざ》をせんより、枉《ま》げて小的《こまと》を用いよ」
 と叮寧《ねんごろ》に箴《いまし》めて、竟《つい》にその議を聴かざりけり。然《され》ば政元《まさもと》が、今|躬方《みかた》の毎《ともがら》の、多く親兵衛に拗《とりひし》がれて不覚を取りしを恨みとせで、反《かえ》って親兵衛の武芸を愛《めで》て、只|云云《かにかく》と最《いと》惜しむは、予《かね》て聞きしに弥《いや》増して、実《じつ》に一|人《にん》当千なれば、縦《たとい》五六の勇臣を、喪《うしな》うとても、他《かれ》を得ば、我が身の扞城《まもり》に足れりとす、心|悄地《ひそか》に捨てがたき、思いあるによりて也。又|種子島《たねこじま》中太《ちゅうた》正告《まさのり》が、笠に小的《こまと》を建てんといいしは、修煉《しゅれん》をこゝに見《あらわ》して、名を高くせん為ならず、真賢《さねかた》直通《なおみち》、景紀《かげとし》等が、皆親兵衛に雌伏して、毛を吹き疵《きず》を求めしは、那身々々《かのみ/\》の恥のみならず、我が君侯《くんこう》の面伏《おもぶせ》にて、京家《きょうけ》の武威を貶《おと》すに似たり。いかで我が銃口《つゝさき》に、かけて那奴《かやつ》を結果《おしかたづけ》て、恥をしこゝに雪《きよ》めん、と思いにければ機に臨《のぞ》んで、言《こと》を設《もう》けて請いしかど、政元《まさもと》その義を用いざれば、准備《ようい》いたずらになりし也。初め正告《まさのり》この計較《もくろみ》を、廣當《ひろまさ》に聶《さゝや》き示して、
「我と和殿と心を合わして、那《かの》少年|奴《め》を前後より、推挟《おしはさ》みて狙い撃たば、那奴《かやつ》不測《ふしぎ》の術ありて、非如《よしや》箭頭《やさき》を免《のが》るゝとも、いかにして銃口《つゝさき》を、避くるに暇《いとま》あるべきや。この議に任《まか》し給いね」
 と手に捉《と》るごとく説き誇るを、廣當《ひろまさ》急に推禁《おしとゞ》めて、
「否々《いな/\》、愚意は同じからず、縦《たとい》犬江を射て殺すとも、射つべき的《まと》にあらざれば、弓箭《ゆみや》取る身の恥なるを、誰《たれ》か愆《あやまち》ならずとせんや。且《かつ》我党《わがともがら》の試撃《たちあわせ》に、犬江に及びがたかりしは、其身々々《そのみ/\》の拙《つたな》き故《ゆえ》のみ。※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》を輸《まけ》たりとて他《かれ》を怨まば、邪《よこしま》にして理義にあらず。況《まいて》や己《おのれ》に勝《まさ》れるを、醋心《ねたみごころ》のやるせなく、悄地《ひそか》に謀《はか》りて撃たまく欲《ほり》せば、奸虐《かんぎゃく》の罪|免《まぬか》るべからず。爾《しか》るを強《し》いて謀《はか》るとも、本意《ほい》を遂《と》げずは、憤《いきどおり》を洩らすに由《よし》なきのみならず、射つべき的《まと》を射ざりしを、後悔すとも及びがたかり。譬《たとえ》ば無敵斎《むてきさい》の鄙怯《ひきょう》なる、只是浮薄の本性《ほんしょう》にて、恥を知らずと云う譏《そしり》あり。あれども己《おのれ》を知るをもて、戦わずして負けたるは、不争《ふそう》無敵の名詮自性《みょうせんじしょう》歟《か》、笑うに堪《た》えたる者ながら、謀《はか》りて犬江を害せん、と欲《ほり》する邪念に猶《なお》優《まさ》れり。思い止《とゞ》まりね」
 と理《ことわ》り切《せめ》て諫《いさ》めしを、正告《まさのり》听《き》かず勃然《むっ》として、
「好々《よし/\》、其《そ》の意ならば、和殿を憑《たの》まず、我がせんようを見給え」
 といい捨てゝ衝《つ》と立出《たちいで》て、有司《ゆうし》に就《つ》きて云々《しか/″\》と、笠的《かさまと》の義を願いしに、政元《まさもと》敢《あ》えて聴《ゆる》さねば、犬江が後安《うしろやす》きはさらなり、正告《まさのり》も亦|奸虐《かんぎゃく》の、罪人《つみびと》になるに逮《およ》ばで、面《おもて》を起こすよしさえあるは、是|小人《しょうじん》の幸い也。後《のち》にこの言《こと》の洩れし折《おり》、親兵衛これを聞知《きゝし》りて、駭嘆《おどろきたん》じて思うよう、
「那《かの》種子島《たねこじま》が、小人《しょうじん》なる、今さらに歯に掛くるに足らねども、昔|唐山《からくに》宋《そう》の康王《こうおう》は、射《ゆみい》る毎《ごと》に人をもて、必ず的《まと》にせしという、残忍にや做《なら》いけん、或いは又今|戦世《みだれよ》の諸侯の、専々《おさ/\》驍勇《ぎょうゆう》を好む家には、運※[#「金+非」]《うんだめし》という事あり。究竟《くっきょう》なる後生《わこうど》を、円坐《くるまざ》に並ばせたる、その中央《まなか》に、機関《からくり》ある、鉄砲に火を刺して、一|人《にん》急に牽輪《ひきめぐ》らすに、その銃丸《たま》発して、撃たるゝ者あり、撃たれて死するを薄命として、父母親族も哀《かな》しまず。恁《かく》て屡《しば/\》運※[#「金+非」]《うんだめし》に、撃たれざるを高運として重く是を用うと云う。孫子《そんし》に、将《しょう》は福艾《ふくがい》を、択《えら》むといえる誨《おしえ》に因《よ》る歟《か》、福は高運、艾《がい》は眉寿《びじゅ》也。その義は是異なれども、正告《まさのり》が笠的《かさまと》も、日を同じくして談《かた》るべし。独《ひとり》秋篠《あきしの》廣當《ひろまさ》は、瓦礫《がれき》の中《うち》の片玉《へんぎょく》なる哉《かな》。その言《こと》都《すべ》て理義|分明《ふんみょう》、実《じつ》に是君子の風《ふう》あり。恁《かく》てぞ祖先(隠岐《おきの》廣有《ひろあり》をいう)を辱《はずかし》めざる、賢者《けんしゃ》にこそ」
 と称賛して、悄地《ひそか》に批評したりける。こは是|後《のち》の話也。
 爾程《さるほど》に犬江親兵衛は、秋篠《あきしの》将曹《しょうそう》廣當《ひろまさ》、種子島《たねこじま》中太《ちゅうた》正告《まさのり》等と共侶《もろとも》に、歩立《かちだち》にして弓箭《ゆみや》鉄砲を、携《たずさ》えて射※[#「土へん+朶」、第3水準1-15-42]《あづち》に入る程に、頃者《このごろ》来ぬる天津鴻雁《あまつかり》、※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に北なる雲間《くもま》より、南へ多く渡るあり。政元《まさもと》は仮※[#「广+技」、U+5EAA]閣《さじき》より、逸早《いちはや》く見出《みいだ》して、急に近習《きんじゅ》を走らして、件《くだん》の三士にいわするよう、
「目今《たゞいま》居多《あまた》の天津雁《あまつかり》、這方《こなた》を投《さ》して来ぬるあり。各《おの/\》他《かれ》を射て捉《と》りね、第一|箭《せん》は親兵衛たるべし。二|箭《せん》三発は
将曹《しょうそう》中太《ちゅうた》、左《と》にも右《かく》にも便宜《びんぎ》に儘《まか》せよ。疾々《とく/\》」
 といそがせば、三士承りて共侶《もろとも》に、其方《そなた》を※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に瞻仰《あおぎみ》るに、箭局《やごろ》極《きわ》めて遠ければ、届くべき涯《かぎ》りにあらず。いかにせまし、と思い難《かね》たる、そが中に親兵衛は、尋思《しあん》に及ぶ気色《けしき》もなく、介添《かいぞい》の武士に持たしたる、
「鉄砲是へ」
 と受取《うけとり》て、那《かの》雁《かり》程よくなりし時、天《そら》に向かいて空丸《あだたま》の、火蓋《ひぶた》を鑽《き》って、※[#「てへん+堂」、第4水準2-13-41]《どう》と放《はな》せば、群雁《ぐんがん》これに驚きて、列《つら》を乱して※[#「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2-84-93]々《はた/\》と降《さが》るを、得たり、と鉄砲|投捨《なげすて》、弓に箭《や》※[#「夾+りっとう」]《つが》いて、※[#「弓+票」]《ひょう》と射る、箭局《やつぼ》差《たが》わず、一隻《ひとつ》の賓雁《ひんがん》、弦《つる》に応じて隕《おち》にけり。廣當《ひろまさ》と正告《まさのり》は、犬江が手段に便《たよ》りを得て、弓箭《ゆみや》銕砲《てっぽう》共侶《もろとも》に、振仰《ふりさけ》放《はな》つ、修煉《しゅれん》斉一《ひとしく》、亦復《また/\》隕《おつ》る両隻《ふたつ》の雁《かり》、鮮血《ちしお》に塗《まみ》れて地上に在《あ》り。

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