南総里見八犬伝 第九揖巻之三十七(一)

   第百六十四回

 再説《ふたゝびとく》、犬田小文吾|悌順《やすより》は、寄手《よせて》第一番の猛者《もさ》と聞こえし、上水《うえみず》和四郎《わしろう》束三《つかみつ》と、馬を相《あい》寄せ棒を合わせて、他雑《ひとまぜ》もせず戦う程に、束三《つかみつ》竟《つい》に腕《たゞむき》疲れて、連《しき》りに※[#「口+盡」、U+568D]《おめ》き叫ぶのみ、既に危《あや》うく見えしかば、又|寄隊《よせて》の陣中より、一個《ひとり》の騎馬武者|馳出《はせい》づるを、と見れば是れ亦|束三《つかみつ》に、劣らざるべき大漢《おおおとこ》にて、※[#「虫+冉」、U+86BA]眼《はみのまなこ》虎髯《とらのひげ》、骨|逞《たくま》しく面《つら》黒かる、身には※[#「白/七」、U+7682]革縅《くろかわおどし》の鎧|※[#「てへん+鐶のつくり」、第3水準1-85-3]《き》て、腰に三尺の大刀《たち》を跨《よこた》え、手に大鉞《おおまさかり》を執《と》れりける、面魂《つらだましい》苛《いか》めしく、銀の左纏《ひだりない》の箍額《はちまき》して、胡意《わざと》兜《かぶと》を被《き》ざりけり。
 恁而《かくて》這《この》猛者《もさ》馬を找《すゝ》めて、近づく随《まゝ》に声|震立《ふりたて》て、
「上水《うえみず》憩《いこ》いね、我代わらん。やよや東西の千士万卒《せんしばんそつ》、今我|赤熊《しゃくまの》如牛太《にょぎゅうた》猛勢《たけなり》が、本事《てなみ》を見よや」
 と喚《よばわ》りて、馬を馳《は》せよせ、鉞《まさかり》を、振り閃《ひらめ》かして小文吾を、只|一撃《ひとうち》に斫《き》らんとす。既にして犬田小文吾は、左右に敵を受くれども、毫《ちっと》も怕《おそ》るゝ気色《けしき》なく、左を※[#「てへん+主」、第3水準1-84-73]《さゝ》え右に中《あた》り、受けては流し、流しては撃つ、神出鬼没《しんしゅつきぼつ》の手を尽くせば、人馬《にんば》の進退《かけひき》一致して、両敵の器械《うちもの》を打払《うちはら》い遣返《やりかえ》す、生木《なまき》の棒は翩々《ひら/\》と、宛《さなが》ら※[#「虍/丘」、第3水準1-91-45]空《こくう》に閃《ひらめ》く如く、孰《いずれ》を其《それ》と分《わき》がたき、闘戦《たゝかい》闌《たけなわ》也ければ、寄隊《よせて》の士卒も、里見の諸兵《しょひょう》も、呆然《ぼうねん》として酔えるが如く、手を空《むな》しくして長※[#「虎+見」の「儿」に代えて「助のへん」、第4水準2-88-41]《ながめ》て在《お》り。
 恁而《かくて》上水《うえみず》和四郎《わしろう》は、今|一雄《いちゆう》の※[#「邦/巾」、第4水準2-8-86]助《たすけ》を得たれば、疲労《つか》れし気力を励《はげ》まして、相夾《さしはさ》みて撃たまくすれども、小文吾は、這《この》両敵を左右に受けし、精神始めに弥《いや》増して、岌《かさ》より蒐《かゝ》る勢いに、誰《たれ》かよく勝つよしあらんや。譬《たとえ》ば唐山《からくに》三国《さんごく》の初めに、冀州《きしゅう》の刺史《しし》袁紹《えんしょう》が、万夫《ばんぷ》不当《ぶとう》と負《たの》みたる二勇士、顔良《がんりょう》文醜《ぶんしゅう》が、関《かん》雲長《うんちょう》と戦いしも、恁《かく》やとぞ思う奮激|突戦《とっせん》、細かに名状《めいじょう》すべからず。既にして犬田小文吾は、這《この》両個《ふたり》の勍敵《きょうてき》を、思いの随《まゝ》に疲労《つか》らして、甲乙《これかれ》倶《とも》に腕《たゞむき》の、乱るゝ透《すき》を得たりしかば、乙《おっ》と※[#「口+盡」、U+568D]《おめ》きて撃つ棒を、束三《つかみつ》※[#「てへん+主」、第3水準1-84-73]《さゝ》うるに遑《いとま》なく、鈍《おぞ》くも項《うなじ》を※[#「石+殷」、第3水準1-89-11]《はた》と撃たれて、頭鎧《かぶと》も骨も砕《くだ》けけん、苦《あっ》と一声《ひとこえ》叫びも果てず、馬より※[#「てへん+堂」、第4水準2-13-41]《どう》と墜《お》つる時、小文吾が生木《なまき》の棒も、中より弗毀《ほき》、と折れしかば、小文吾早く、束三《つかみつ》が鉄撮棒《かなさいぼう》の杪《うら》を抓《つか》みて、地上に落とさず拿留《とりとめ》ける、程しもあらせず赤熊《しゃくま》猛勢《たけなり》、
「朋輩《ほうばい》の仇《あた》逃《のが》さじ」
 と叫び進みつ鉞《まさかり》もて、犬田が頭《こうべ》を撃たんとするに、毫《ちっと》も透《すき》をあらせざりける、小文吾馬上に身を反《かわ》せば、猛勢《たけなり》が撃つ鉞児《まさかり》は、※[#「穴かんむり/鬼」]《ねらい》外《はず》れて、小文吾が、乗ったる馬の鬣《たてがみ》かけて、頭《こうべ》を托地《はた》と斫落《きりお》とす、那《かの》時遅し、這《この》時速し、小文吾は我が馬の斫《き》られて仆《たお》れんとしぬる時、仆《たお》しも果てず身を飛ばして、今|束三《つかみつ》に放《はな》れてありける、馬に閃《ひら》りと乗移《のりうつ》りて、那《かの》八角なる鉄撮棒《かなさいぼう》を、振上《ふりあぐ》る手も見せず、赤熊《しゃくま》如牛太《にょぎゅうた》猛勢《たけなり》の、肩尖《かたさき》項骨《えりぼね》被《か》けて、力に任《まか》して撃ちしかば、いかにして堪在《たま》るべき。猛勢《たけなり》は肩骨《かたぼね》摧《くだ》けて、握り持ったる鉞児《まさかり》を、落として人馬《にんば》共侶《もろとも》に、地上に※[#「てへん+堂」、第4水準2-13-41]《どう》と撃伏《うちふ》せられて、そが儘息は絶えにけり。然《され》ば犬田が這《この》日の※[#「てへん+爭」、第4水準2-13-24]《はたら》き、敵も自家《みかた》も目を驚かして、其《そ》の緒《お》を接《つ》がんと欲《ほり》する者なし。
 登時《そのとき》犬川荘介は、執《と》ったる麾《ざい》をうち揮《ふ》りて、
「蒐《かゝ》れ/\」
 と士卒を找《すゝ》むる、軍《いくさ》の潮前《しおさき》、時こそよけれ、と勇む登桐《のぼぎり》山八郎《さんぱちろう》、満呂《まろ》復五郎《またごろう》再太郎《さいたろう》、安西《あんざい》就介《なりすけ》、いえばさら也、雑兵《ぞうひょう》仂武者《はむしゃ》に至るまで、皆洪水の衝《つ》く如く、又|大山《たいさん》の崩るゝ像《ごと》く、咄《どっ》と揚げたる喊《とき》の声と、倶《とも》に前後を相《あい》争うて、面《おもて》も振らず鎗の尖頭《ほさき》を、揃えて寄隊《よせて》の陣中に、突蒐《つきかゝ》り衝頽《つきくず》す、勢いに誰《たれ》か中《あた》るべき。寄隊《よせて》は、万夫《ばんぷ》に捷《まさ》れり、と然《さ》しも負《たのも》しく思いたる、上水《うえみず》和四郎《わしろう》、赤熊《しゃくま》如牛太《にょぎゅうた》を、犬田に撃たせて力を喪《うしな》い、勢い折《くじ》けて忙然《ぼうぜん》たりしに、又犬川に先を駈けられて、始めて事の起こりしごとく、驚き乱れて、辟易《へきえき》す。一陣既に敗《やぶ》れては、大将|自胤《よりたね》、原《はら》胤久《たねひさ》も、又|立直《たてなお》すことを得ず、
「返せ/\」
 と喚《よばわ》るのみ。逃ぐる士卒に誘引《さそわ》れて、頽《くず》れて後陣《ごじん》へ※[#「薛」の「くさかんむり」に代えて「山」]《なだ》れ蒐《かゝ》れば、朝良《ともよし》も憲重《のりしげ》も、
「こは什※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57]《いかに》」
 とばかりに、制《とゞ》むべくもあらざれば、竟《つい》に※[#「てへん+總のつくり」、第3水準1-84-90]敗軍《そうはいぐん》にぞなりにける。
 然《され》ば里見の二犬士は、逃ぐる寄隊《よせて》を遠く※[#「走にょう+干」、U+8D76]《お》わず、程よく士卒を喚返《よびかえ》させて、人馬《にんば》を聚《つど》えて、五本松《ごほんまつ》に在り。敵の棄てたる陣営に入替《いりかわ》りて、士卒の軍功を尋ぬるに、登桐《のぼぎり》山八《さんぱち》、満呂《まろ》親子、安西《あんざい》就介《なりすけ》們《ら》、この余《よ》も諸士に分捕《ぶんどり》多かり。しかれども犬田が那《かの》二勇士を撃果《うちは》たして、寄隊《よせて》二万五六千の、胆魂《きもだましい》を拗《とりひし》ぎける、其《そ》の武功に及ぶべき者あらず。荘介これを嘆賞して、且《かつ》小文吾に向かいていうよう、
「和殿今日の※[#「てへん+爭」、第4水準2-13-24]《はたら》きは、和漢に儔《たぐい》多く得がたし。是《こゝ》をもて敵はさら也、自家《みかた》六七千の小勢《こぜい》をもて、二万五千の大敵を、只|一呼吸《ひといき》に殺頽《きりくず》せしは、和殿|一箇《ひとり》の力に依《よ》れり。我が及ばざる所なれども、和殿は、当陣の、上将《じょうしょう》でありながら、士卒の為に自愛して、始終の勝ちを思い給わずや。縦《たとい》其《そ》の功《こう》ありとても、匹夫《ひっぷ》の勇《ゆう》を事として、敢《あ》えて士卒に譲る事なく、那《かの》二|勍敵《きょうてき》と戦い給いしは、いと危《あや》うしとも危《あや》うかりき。那《かの》時|※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1-14-30]《もし》寄隊《よせて》の陣より、※[#「穴かんむり/鬼」]《ねらい》近づきて箭《や》を飛ばさば、和殿防ぐに由《よし》なからん。孔子《くじ》に語道《ごどう》に似たれども、愚意の及ぶ所をいうのみ。こは後《のち》の為なれば」
 と、理《ことわ》りを演《の》べて諫《いさ》むれば、小文吾|听《きゝ》つゝ感服して、
「教諭|寔《まこと》に其《そ》の理《り》あり。我も亦始めより、思わざるにあらねども、那《かの》上水《うえみず》和四郎《わしろう》、赤熊《しゃくま》如牛太《にょぎゅうた》は、其《そ》の名|粗《ほゞ》聞こえたる猛者《もさ》なればこそ、将衡《まさひら》と村禽《むらどり》は、果敢《はか》なく撃たれて、良于《よしゆき》も亦|危《あや》うかりき。敵|※[#「にんべん+淌のつくり」、第3水準1-14-30]《もし》勝つに乗るならば、今日の闘戦《たゝかい》いかゞあるべき。勝敗いまだ知るべからず。この故《ゆえ》に我|已《や》むことを得ず、一|臂《ぴ》の力を尽くせしのみ。敢《あ》えて武芸を見《あらわ》し、誉《ほまれ》を求めて、匹夫《ひっぷ》の勇《ゆう》を好むにあらねど、和殿の諫《いさめ》は千金にて、我が愆《あやまち》を知るに足れり。嚮《さき》には今井《いまい》の戦いに、和殿|殺戮《さつりく》の手を禁《とゞ》め得ず、且《かつ》逃ぐる将衡《まさひら》を※[#「走にょう+干」、U+8D76]《お》いもて行《ゆ》きて、寄隊《よせて》の大軍近づきけるを、思わざりしを失《あやまち》として、みずから貶《おと》して副将《ふしょう》の席《むしろ》に、就《つ》き給いしを禁《とゞ》め難《かね》つゝ、我が身|只得《ぜひなく》今までは、正使《せいし》の上坐《かみくら》を汚《けが》せしに、我も亦今日の闘戦《たゝかい》に、危殆《あやうき》を見かえらで、且《かつ》殺戮《さつりく》を事とせし、愆《あやまち》は和殿に倍《まし》て、漫《そゞろ》に館《やかた》の御本意に、背《そむ》きまつりし者に似たり。這《この》失《あやまち》をもて那《かの》失《あやまち》に、易《かえ》て今より防禦使《ぼうぎょし》の、上坐《かみくら》を返しまいらせん。いざ/\」
 と推薦《おしすゝ》めて、其《そ》の身は又|故《もと》のごとく、副将《ふしょう》の席《むしろ》に就《つ》きしかば、荘介は云云《かにかく》と、一霎時《しばし》こそ推辞《いな》みたれ、理《り》の当然に争難《あらそいかね》て、僅《わず》かに那《かの》意に儘《まか》せてぞ、又|立替《たちかわ》りて正使《せいし》に做《な》りにける、謙遜辞譲《けんそんじじょう》、義あり礼あり、人の及ばぬ這《この》美事《びじ》を、感ぜぬ者なんなかりける。

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